先日みていたドラマの「ムチャブリ」で、仕事と家事の両立がテーマとなった回がありました。
妻の気持ちにも、夫の気持ちにも共感できて、何となく若いころの自分を思い出しました。
夫の何気ない言葉、腹が立ったなぁ。。。
私もかつてはバリバリ?働いていた。
ドラマの知美と似ていて、完璧主義なところがある私。
仕事も家事も頑張りたかった。
今思えば若かったなぁ。
体力があったからだと思うけど、満員電車に揺られ、1時間以上かけて出勤。
残業も結構あった。
それでも結婚当初は、仕事を頑張り、家事をして、休みの日は出掛けて、という生活に満足していた。
毎日本当に忙しかったけれど、人生の中で、一番充実していた。
でも、そんな生活は長くは続かず、だんだんきつくなってくる。。。
夫は優しくて、家事がおろそかになったところで、文句は言わない。
家事は分担すればいいと思ってくれている。
そして、「言ってくれれば手伝う」と言ってくれた。
その通り、お願いすれば嫌な顔をせず手伝ってくれた。
言えばやってくれる。
すごく恵まれている。
感謝すべきだということは分かっている。
でも、「言ってくれれば手伝う」という、どこか他人事のような言葉に腹が立った。
求めすぎだと思うけど、ワガママだと思うけど・・・。
同じように生活しているのに、なぜ自分だけが家事のことを考えなければいけないのだろう。
掃除は一生しなくてもいいと思っているのか?(そういう人もいるかもしれませんが(^^;)
日々着ている服は、どこからかやってくると思っているのか?
洗濯をする必要があることぐらいは分かるだろう。
ご飯はどうしようと思っているのか?
ご飯を食べるには、買ってくるなり作るなりしないと食べられないということぐらい、言われなくても分かるだろう。
それなのに「言ってくれればやる」「言ってくれないと分からない」という言葉に腹がたったのだ。
他人事のような「言ってくれれば」という言葉、生活するために何をやらなければいけないのか、わざわざ言わないと分からないのか・・・。
なぜ自分だけが、やるべき項目や段取りを考えないといけないのか?
生活している以上、当然発生する家事なのに、自分だけがいつも家事のことを考えている。
夫も生活しているのに、なぜ家事のことを考えないのか?
私は夫に、家事に積極的に関わる姿勢を求めていた。
言われるのを待つのではなく、例えば、
「掃除いつやる?」
「洗濯やるけど教えて」
「今日、夕飯どうしようか?」
そんな風に言って欲しかったのだと思う。
でも今になって思う。
夫の「言ってくれれば」はきっと、私には私のタイミングややり方があるだろうから「教えて」という意味だったのではないかと。
そして、
当時の私は、家事は自分がやるべきと思っていたので、手伝ってもらうことに罪悪感があった。
だから、察して欲しくて、ハッキリと自分の気持ちを言えなかったような気がする。
それこそが「言ってくれないと分からない」だったのだと思う。
お互いに若かったから、まだまだ遠慮があったし、伝え方も未熟だったかなと思う。
時の流れとはすごい。
あの頃の慎ましい女性はどこへやら。
50歳を過ぎた今では、何でも言ってしまう。
そして夫は、よく気遣いてくれる。
私のトリセツをだいぶ読み込んだのだろう。
そんな夫に対し、最近の私は少々当りがきついなと思う (^^;
何でも更年期のせいにしてはいけないけど、イライラしがちなのだ。
反省しなくては・・・。